海老ワンタンが美味しい理由は?主役と脇役の逆転現象を見抜く視点

先日「海老ワンタン」を買った。ワンタンとスープを水に溶かしてレンジでチンするだけのお手軽さがありがたかった。

そんな海老ワンタンの味はというと……。ワンタンは微妙だったが、スープがなかなか口に合っていた。「海老ワンタン」は、ワンタンが主役の商品なのだろうが、脇役のスープの方が美味しいという逆転現象が起こっていた。これは「海老ワンタン」に限った話ではない。

素材をそのまま食べる刺身であれば、刺身になった魚などの味がそのまま評価の対象となる。天然と養殖では味が異なるし、鮮度も重要である。

一方、たとえば高級食材の代表であるうなぎは、うなぎの肉自体の味もあるが、それ以上にタレの味が物を言う。うなぎの肉自体が多少不味くても、美味しいたれに付けて食べれば食べられるだろう。最近は、うなぎに似せたかまぼこも売られていて、実際に僕は食べてみたが、普通に美味しかった。たれの力!

さらに佃煮に至っては、食材自体の味が調味料で変わってしまう。だから、僕が嫌いなシイタケやアサリでも、佃煮だと食べられる。イナゴの佃煮は絶品だった。どんなものでも、佃煮にしてしまえば食べられるのではないか?

多くの食べ物では、主役の食材よりも、脇役であるはずのたれや調味料の良し悪しが、食品全体の味を決めてしまう。極端なことをいえば、うなぎのたれだけをご飯にかけて食べても、そこそこ満足できるだろう。少なくとも、僕なら満足してしまう(笑)

食べ物の話からさらに視野を広げてみると、主役と脇役の逆転現象があちこちで起こっている。

たとえば、進学実績の良い学校や合格率の高い塾は、学校や塾事態に教育力があるのではなく、そこに集う学生の質が高い、という話はよく耳にする。そうであれば、学校や塾が実施する教育に期待できない以上、「この学校(塾)に入ったから安心」とはならない。何が進学実績(合格率)に貢献しているのかを見極めて、生徒側で工夫していかないと、将来は悲惨なことになる。

それから、誰かがTwitterで呟いていたが、「日本の政治はトップがグダグダでも、現場が上手くやってくれる」というのもある。現政権を見ていても、あんな人たちが政治家でも日本が国として機能しているのは、優秀な官僚と大人しく言うことを聞いてくれる国民のおかげだろう。しかし、このような現実を見もしないで、政治家は「自分達の手柄だ」と思っている節があり……。「日本の将来は真っ暗だ」と思うのは、僕だけだろうか?

物事が上手くいっているとき、それを支えているのが何なのかを見極める視点が欲しい。

うなぎのたれが美味しいだけなら、バカ高いうなぎを抜いてたれだけをご飯にかければ、お金をかけずに満足を得られる。優秀な生徒が集まっているだけの学校に年間何百万も支払った挙句、塾代まで捻出しなければならない、という事態を避けることもできる。

そんなことを考えながら、今日も「スープが美味しい」と思いながら、「海老ワンタン」を食するのだった。

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