小中学時代の人間関係はゴミ!孤独がフリーランスとしての底力になる

僕は小学時代、クラスメイトになじめなかった。

母親の方針で「友達を家に入れない」「バラエティー番組を見ない」「ゲームはしない」などの制限があり、放課後にクラスメイトと遊ぶことはほとんどなく、話も合わない。他の人たちが好きなものに興味もなく、浮いていた。

卒業アルバムの写真撮影では、クラスの仲良したちがそれぞれ集まって撮ってもらっていた中、自分だけどこのグループに入ればいいかわからず、仕方なくどこかのグループの脇にぽつんと立って、何とか写真に収まった。

クラスメイトになじめないことに悩んだりもした。

卒業式の日、引っ越しが決まっていた僕の手を握り、担任は「中学では友達を作るんだよ」と言った。

中学進学後、少し経ってからふと思った。「別にこんな奴らと無理に仲良くする必要はない」と。

僕が通っていた中学は、いわゆるヤンキーがいる底辺校だった。ただ、牧歌的な雰囲気もあって、成績でどんどん順位を上げていった僕に対して、ヤンキーも含めた同級生らはそこそこ敬意を示してくれた。危害を加えられることもなかった。

とはいえ、低レベルな環境が好きになれず、高校は県のトップ校に進学した。「中学の連中と同じ高校には進学したくない」という思いがあって、その思いが実現したのだ。

高校では人間関係に恵まれたものの、勉強が分からなくなって困ったのだが……。

大学入学当初、僕は「友達をたくさん作ろう」と思って頑張った。何人もの人たちとメアドを交換し、ランチの時間にはグループで学食へ行き、友人を増やすことに尽力した。

しかし、1年の途中で心が不安定になっていき、「常にだれかと一緒にいるのは無理だ」と悟り、一緒にいた人たちと距離を置いた。ランチは一人で食べ、講義も別学年や他学部のものを中心に受講し、とにかく一人で行動するようにした。そして、心もいくらか落ち着いた。

孤独に逆戻りしたのだが、それによって完全に誰とも交流しなくなったかといえばそうでもない。キャンパス内で誰かと会えば立ち話をしたり、一緒にランチをしたりして、いろいろな人たちと緩く交流していた。それが自分にとっては一番楽だった。

完全に孤立しないように自分のポジションを確立し、それがもっとも上手くいくことを理解した経験は、その後の生き方の基盤となった。その根底には小中学時代の孤独があった。

大人になってから小中学時代を振り返るといつも、「あんな奴らと仲良くしなくてよかった。小中学時代の人間関係はゴミだ」と思う。

もし、小中学時代に同級生らと群れて遊んでいたら、今の僕は存在しなかっただろう。

僕は一人で遊ぶのが好きで、あちこち散策してみたり、工作してみたり、虫を飼ったり、本を読み耽ったりしていた。そういう時間をたっぷり確保できたのは、同級生らと遊ばなかったからだ。同級生らと話を合わせるために、どうでもいいテレビ番組を見たり、ゲームに没頭したりしなかったからだ。

小中学時代に低レベルな人間関係に煩わされなかったからこそ、現在はフリーランスとして自力で生活できている。群れることでしか生きていけなかったら、今頃路頭に迷っていたかもしれない。

子供時代の孤独は大人になってからの底力となる。

タイトルとURLをコピーしました