飲み会が嫌いな若者が多い時代に「飲みニケーション」の意義を考える

コロナ禍のせいで飲み会は完全に悪者扱いだ。

もっとも、コロナ禍の前から、「飲み会=飲みニケーション」は多くの若者たちから嫌われていた。「好きでもない職場の人間と飲むのは詰まらない」「自分の時間とお金が奪われて無駄」などと言われ、飲み会は時代遅れの悪習となりつつある。

そんな風潮にもかかわらず、僕は飲み会が嫌いではなかった。前職では、わざわざ率先して参加したいとは思わないものの、誘われればできる限り参加するようにしていた。酒を飲みながら、職場の人たちの話を聞くことに意義を感じていたからだ。

僕の前職はITで、飲み会では先輩から仕事や技術の話を聞くことが多かった。ある飲み会で、次長さんと話したことがきっかけで、僕は基盤チームの仕事に興味を持った。

僕はプログラミングをしたくてIT業界に飛び込んだのだが、そのプログラミングを動かす土台を構築したり保守したりするのが基盤チームの役割であることを知り、純粋に「かっこいい」と思った。そこで「基盤をやってみたいです」と言ったところ、後に基盤チームへ配属されることとなった。

ついでに、その次長さんとの話で興味深かったのは、夫婦仲を円満にする秘訣だった。次長さん曰く、「嫁は料理が上手です。だから、私はいつも『美味しい料理をありがとう』と言うようにしていて、そうすると夫婦喧嘩が起こらないんですよ」。

「ありがとう」という言葉が良好な関係維持で役立つことは知っていたが、身近な人から実話を聞かされると、改めて納得させられるものがあった。自分も将来誰かと一緒に住むことになったら「ありがとう」を欠かさないようにしたいと思ったし、これは今でも自分の中で大切にしている思いだ。

飲み会がきっかけで人生が変わったり、大切なことに気づかされたりするのは珍しいことではない。酒の席でいろんな人の話に耳を傾けてみると、人生のヒントを得られることが多い。ライターが集まる飲み会に参加した際も、先輩ライターが教えてくれた何気ないコツが、僕の今の仕事に生きている。

最近の若者が飲み会を嫌がるのは、親密でない人とのコミュニケーションが煩わしいという理由からだろう。しかし、親密でない人と話すからこそ、自分の知らない世界と出会ったり、思いがけない発見があったりする。親友とのサシ飲みだと、いつもと変わらない話になりがちで、それはそれで楽しいがマンネリ化しやすい。飲みニケーションはその逆の経験だ。

そんな飲み会を懐かしく思い出しながら、僕は毎日一人で酒を飲み続けるのだった……。

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