環境が変われば人も変わる?「孟母三遷の教え」は塾ジプシーと同じ?

最近は「環境が変われば人も変わる」という意見がやたらと目に付く。

実際そうである場合が多いのは理解する一方、半信半疑でもある。

教育業界には「塾ジプシー」という言葉がある。「この塾は合わない」といちゃもんをつけて、いくつもの塾を転々とする生徒やその保護者を表現する言葉だ。

確かに、生徒と塾の相性はある。生徒によっては、どうしても合わない塾はあるだろう。指導者からの暴力に耐えられないという事情があることも……。

しかし、多くの場合、「この塾は合わない=生徒が塾に合わせる気が無い」だ。

「先生の教え方が悪い」「教材が悪い」「テスト対策をしてくれない」「質問対応をしてくれない」などと生徒は文句を言い、保護者はそれを真に受ける。

場合によっては、保護者が「うちの子の成績が上がらないのは塾のせいだ」と言って、子供の状況を一切確認せず、勝手に転塾してしまうことも少なくない。

そんな塾ジプシーが別の塾に移ったとして、成績が伸びるのか?

本当に環境が原因で伸び悩んでいるのか?

これは子供の勉強に限った話ではない。いい年をした大人でも、自らの不遇を環境のせいにして「貧困だ」「格差だ」とわめき立てている。

確かに、いじめやパワハラなどを受けているのなら、環境が悪いとしか言いようがない。

しかし、与えられたものを十分に活かすこともせず、キラキラ輝いているように見える人たちと自分を比べて、「環境が悪いから自分は不幸なんだ」と不満をぶちまけるのは違う。何でもかんでも環境のせいにする人は、結局どこに行っても上手くいかない。

僕は「孟母三遷の教え」が嫌いだ。

中国・戦国時代の儒学者、孟子の母は、子供の教育に適した環境を求めて3回転居したという。

墓の近くに住んだら、孟子が葬式のまねをし始めた。これを教育上好ましくないと考えた母は市場の近くに転居した。孟子が商人のまねをし始めたので、次に母が学校の近くに転居したところ、孟子は礼儀作法のまねをし始めた。これを見た母は教育上好ましいと考え、ずっと住み続けることにした。

この逸話を読んで「孟子の母は素晴しい」と考えるのは、頭がお花畑である証拠だ。

孟母は塾ジプシーと何も変わらない。一昔前の「教育ママゴン」であり、現代の典型的な「モンペ(モンスターペアレント)」だ。

孟母は、子供がいかなる環境でも勉強できるように躾や教育をすることができなかった。自分の無能を環境のせいにした。

こんな母親に育てられた孟子は後に、「易姓革命」を主張するまでになった。易姓革命とは、自分に都合の悪い環境(王朝)は「徳が無い」のだから、「徳の有る」者によって滅ぼされるのは当然だ、という理屈だが……。危険思想でしかないと思うのは僕だけだろうか?

孟母三遷の教えはさておき、「環境が変われば人も変わる」は必ずしも成り立たない。

「環境が自分を変えてくれる」と期待するだけの受け身な人は、どんなに素晴らしい環境があっても、その環境を活かせない。自分の中に問題があることに気づけないから成長しない。

環境を変えることで良い方向に変わっていくのは、自らの意志でその環境を選んでいく積極的な人だ。

環境がどうこうと文句を言う前に、自分自身と向き合ってみることが大切だと思う。

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