PVを稼ぐのに必要なのは、スキルや努力ではなく、ネタの選び方!?

ライターとして取材の仕事をしたり、イベントで撮影した写真をTwitterに投稿したりしてわかったことがある。

自分の書いた記事や写真のPV(ページビュー=ページが何回閲覧されたかを測る指標)がどの程度伸びるかは、何をネタとして選んだかによる、ということだ。執筆者の文章力や撮影者の写真技術はほぼ関係ない。

もちろん、第一線で活躍するプロならば、自らのスキルでPVを稼ぐことができるのかもしれない。しかし、僕のような凡人にそれは無理で、結局は取材先や被写体の魅力が物を言う。

昔、某メディアで記事を書かせてもらい、PV大賞をいただいたことがある。その記事は2000字程度のイベントレポートで、これといった工夫もなく、展示物をあっさり紹介しただけだった。しかし、そのイベントがたまたま話題になったため、僕の記事が多くの人たちに読まれたのだ。

PV大賞をいただく前、某メディアのライター会議に出席した際に、前のPV大賞者の話を聞いた。記事のオリジナリティに加えて、編集者と綿密な打ち合わせを行い、練りに練って書いた記事だから読まれた、とのこと。「努力のたまもの」とでもいうべき話だ。このときは「そうなんだ」と思った。しかし、後にその「努力」は完全に否定された。

ネタの選び方によって結果が変わるのは、何もPVに限った話ではない。僕は2015年に境港妖怪検定上級に合格したが、これもたまたま良いネタを選んだ結果だと思っている。

上級試験のお題は2題だが、2015年のお題の1つは「妖怪の立場で境港の『まちづくり』を提言する」というものだった。僕はこれを選択し、提灯小僧の立場から「夜の境港をもっと魅力的にした方がよい」と提言した。

境港妖怪検定上級合格の証と水木しげる先生の訃報が伝える大事なこと
2015年11月30日、水木しげる先生が死去し、僕の手元に境港妖怪検定上級合格の証が届きました。2つの出来事が同時に起こった意義を考えます。

当時の境港は「水木しげるロードリニューアル」が行われていた。リニューアルの大きな目玉は夜間の照明演出で、夜の境港を盛り上げようとしている時期だった。僕の書いた「まちづくり」の提言がたまたまリニューアルと合致したことから、合格できたのだろう。

自分自身の例を2つ挙げたが、過去を振り返れば、似たような経験はいくつもある。さらには、他人様のあれこれを見ても、同じようなことがいえる気がする。

評価されるかどうかは能力によらず、何をネタとして選んだかによる――。こんなことを主張すると「全てが運じゃないか!」と言われそうだが、必ずしもそうとは断言できない。

「運」を呼び込むには、普段からアンテナを張り巡らせて情報収集し、これらを必要なときに的確に紹介できるようにスキルを磨いておく必要がある、と思う。

「果報は寝て待て」ということわざがある。これは、やるべきことをきちんとやった後に「寝ろ」であって、ただ寝ているだけで果報が舞い込んでくるわけではない。

ネタの選び方が大事だとしても、そのネタの活かし方で成功するか失敗するかを決定づけるのは、普段の生活でやるべきことをきちんとやっているかどうかなのかもしれない。そして、その「きちんとやる」は、日本人が大好きな「努力」とは別次元の話なのではないだろうか?

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