TwitterのTLに「いい仕事をしてもらおうと思ったら、相応の額を払わなければならない。」という伊藤 剛さんのツイートが流れてきた。
確かに、多くの場合、このツイートは正しい。しかし、「すべての場合に正しいのか?」は疑ってみるべきだろう。
自分は教育業界とIT業界を見てきたが、どちらの業界も、報酬額と仕事の質は必ずしも一致しなかった。
教育業界では、集団指導よりも個別指導の方が授業料は高い。集団指導と個別指導だと、そもそも指導形態が異なるので、授業料だけで比較することは難しい。しかし、個別指導だからといって、必ずしも集団指導の欠点を補えるかといえば、そうともいえない。
個別指導の講師の質はピンキリで、同じ1コマ(80~90分)5,000円でも、成績アップのノウハウを有する生徒思いの先生に当たることもあれば、まともに質問対応すらできない低学力の先生に当たることもある。「集団指導よりも高いから、集団指導よりも良質のサービスを受けられる」という保証はない。
個別指導でも、1対2よりも1対1の方が授業料が高くなるが、事情は同じだ。ゴミのような先生から1対1で教わったところで、得られるものは何もない。それにもかかわらず、1対2の2倍くらいの授業料になることもあり、「何だかなぁ……」と思ってしまう。
教育業界なんてのは、社会人としてやっていけなかった大人や、割のいいアルバイトを求める学生が主役なのだから、報酬額と仕事の質が一致しないのは当たり前。そんなこともわからずに子供を塾に突っ込む親は……。「経済を回す」という意味では、何も問題ないわけだが(笑)
実はIT業界も似たり寄ったりだ。あまり余計なことを言うと怒られるので詳細は書かないが、SEの職務経歴書は……。本当に報酬額と仕事の質は比例するんですかね?
もっとも、どんなことでも、他人にやってもらおうと思えば、それなりの額を支払わなければならない。
僕は引っ越しのとき、洗濯機の取り外しと設置を3,000円で引っ越し業者さんにやってもらった。業者さんのやっていることを目の前で見ていたのでわかるが、取り外しだけなら自分でもできた。しかも、引っ越し先のコンセントにはアースが無く、アース工事は無し。しかも、なぜか排水エルボもなく、排水ホースの設置すらしてもらえず……。(結局、後で自分で設置した)
「何のための3,000円なんだよ?」と思ったが、業者さんに手間をかけさせた以上、特に文句も言わず3,000円を支払った。3,000円は、結果に対する報酬ではなく、あくまでも手間賃だ。それ以上でもそれ以下でもない。
このとき改めて「どんな些細なことでも、他人に仕事を依頼するなら、相応の額を支払わなければならない」と思った。これは、僕がよく生徒にも言うことだ。
「自分でできることを増やしなさい。どんな些細なことでも、自分でできないからといって赤の他人にお願いすれば、それに対しては必ずお金を払わなければならない。それこそ、電球一つ取り換えるだけでも、自分でできずに電気屋さんを呼べば、電球代以上に出張費などを支払うことになる」
だからといって、報酬額と仕事の質が一致するわけでないのは悲しい現実だ。たとえば、洗濯機の取り外しと設置など、誰がやったところで同じ。ただ、そのやり方を知っているかどうかだけの話。
一般的に「報酬が高ければ高いほど、いい仕事をしてもらえる」と思われている仕事の多くも案外、洗濯機の取り外しと設置と同じなのかもしれない。教育業界やIT業界の下層はそうだった。他の業界はどうなんだろうか?
アートの世界のように、「この人でないとダメ!」という仕事なら、報酬額と仕事の質が一致する。それに対しては高い報酬も喜んで支払おうと思う。しかし、そうでないのなら、わざわざ高い報酬を支払う意味はないので、安いので十分だ。「高かろう悪かろう」をつかまされるのだけは絶対に避けたい。