中国では最近、物質的な欲求が乏しく、勤労や結婚、出産に積極的でない20~30代の若者が増えているという。彼らは「寝そべり族」「横たわり族」と呼ばれているらしい。
彼らの生態については「中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義」や「「横たわり族」が急増 若者に競争疲れ―中国」に詳しい。
前者には、次のように書かれている。
彼らは結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる。
これを読んだとき、「寝そべり族って、自分のことじゃん!」と思ってしまった。
何から何まで、今の自分と同じだ。僕は日々、ライターや家庭教師の仕事をしつつも、それ以外の時間は寝そべっている。畳の上に。
記事を読むと、社会に失望した若者たちが無気力になって、親世代が求めていたものを諦めて競争から離脱し、寝そべり族になった――みたいな書かれ方をしている。もちろん、そういう若者たちも少なくないだろう。
ただ、僕の場合、社会に失望したのではない。むしろ、社会の豊かさに感謝しつつ、自由に楽に生きる道を選んだ。
競争しても疲れるだけだし、見栄を張るためだけに苦労する気も無い。家庭教師でいろいろな家庭を見てきたが、「妻も子どもも要らない」という思いがひたすら強まった。結婚、そして子育てをしなければお金はかからない。
「一戸建てが欲しい」という唯一の望みは「物置が欲しい」というだけの話。集めたものを処分できない性格だから仕方ない。物置なので、立派な家は要らない。中古住宅で十分。できれば1,000万円以下(笑)
僕は幼い頃から物欲が少なかった。本は大体買ってもらえたが、それ以外はそもそも欲しくなかった。おやつは目の前にあっても食べなかった。
今でも、食糧は半額品で十分だし、服に至っては9割引きで買ったものを何年も着ている。最近は本を買わなくなったし、イベントにも行かなくなったので、お金が貯まる。そのお金はとりあえず株や投資信託にぶっ込んでいる。
この生活で満足できる以上、必死で働く必要性を感じない。
そもそも、多くの人たちを駆り立てる欲望は、彼ら自身のうちから湧き上がったものではなく、周囲に煽られて生じたものではないのか?
自然と生じる欲望ではなく、企業などによって刷り込まれた「欲望」――。「欲しい」と思っていたものも、実は無くても困らない。困らないどころか、有ると却って邪魔になる。
どう考えても不健全だ。そんな「欲望」のためにあくせく動き回って心身ともに疲弊するくらいなら、生理的欲求に従って寝そべっていた方がいいのではないか?
そして、寝そべっていても生きていけるだけの豊かさが社会にある。
「貧困だ」「格差だ」と騒いでいる人たちは、わざわざ自分と他人を比較して、不必要なものに心を囚われて、自ら「貧困」や「格差」へと落ちているだけ。「身の丈」を弁えれば、穏やかに暮らしていくことは可能だろう。
中国の寝そべり族の中にも、僕と同じような考え方の若者たちがきっといるはずだ。少なくとも「寝そべり学の先生」からは、自分と同じ臭いが漂っているように思う。
寝そべり族の急増に危機感を抱いているのは中国共産党。無気力な若者たちが経済成長を阻害する可能性を指摘し、批判している。
中国共産党にはいろいろ思うところがあるが、これ以上は悪口になるのでやめておこう。
それよりも、中国共産党とは別の理由から、中国で寝そべり族が急増していることに、僕は危機感を抱いている。
寝そべり族の存在は、彼らを支える豊かな社会の象徴でもある。中国は確実に豊かになっている。
世界中の富や資源が有限であるなら、中国がこれらを獲得している一方で、逆に奪われている国もあるはずだ。それはどこか?
日本の富や資源が中国に移っていると考えられないだろうか?
かつて日本はメイドインチャイナを安く買い叩き、メイドインジャパンを高く売りつけて儲けていた。現在はそれが逆転しつつある。
僕は今、寝そべり族に近い生活をしているが、日本では将来、それができなくなるのではないか?
そんなことを考えるのだが、考えたところで何もできないし、する気も無いので、今日もまた仕事が終わったら寝そべるだけだ。