阿刀田高『不安な録音器』の最初の短編は「聖夜」である。
舞台は島根県松江市。ストーリーの中でも少し出てくるが、『怪談』の作者として有名なラフカディオ・ハーン(小泉八雲)ゆかりの地だ。
ここは美しい町だが、どこかもの悲しい。
「私」は、初めて訪れた松江をこう表現する。
クリスマスシーズンの玩具売り場でアルバイトしたことがきっかけで、「私」は郁子と出会う。大学生の「私」と、入社二、三年目の女性店員の郁子。二人は男女の関係となっていくが…。郁子は「私」のもとを離れて、松江に嫁いでいった。何年か後、郁子は「馴染みのない土地でさびしく生きている」ことをほのめかす年賀状を「私」に寄越したのだった。さらに何年か後、郁子は亡くなった。
そんな郁子が住んでいた町だからこそ、松江は「私」にとって「どこかもの悲しい」のだ。
僕も何年か前に何回か松江を訪れた。鳥取県境港市で実施される境港妖怪検定上級を受けた後、二日目以降を松江に泊まるのが常だった。時期は、「聖夜」に描かれる月の一か月以上前の十月――神在月。
僕は松江を「美しい町だ」と思ったが、「どこかもの悲しい」とは思わなかった。
「私」が郁子との思い出を辿るのに対して、僕は観光目的だったのだから、松江に対するイメージが異なるのは当たり前といえば当たり前。一方で、松江は旅人を「もの悲しい」気持ちにさせることもあるのかもしれない、とは思った。
松江の夜は幻想的だ。夕方には宍道湖が赤く染まる。夕闇に城下町が沈んでいく。夜になると、ライトアップされた松江城の天守閣が遠くに浮かび上がる。川には町の灯が映る。あちこちにラフカディオ・ハーンの後ろ姿や横顔があり、それが旅人に何かを訴えかけているようだ――。
かつて旅した松江の情景と重ね合わせながら「聖夜」を読んだ。最後には阿刀田高らしいオチがあるのだが、それよりもふと旅の記憶が蘇った。
――出雲大社を一緒に見て歩いたKさんは今頃、何をしているんだろう?
Kさんはきれいな女性だった。僕とKさんは「私」と郁子のような関係ではない。妖怪検定で同じ会場にいたKさんと翌日、出雲大社でばったり再会し、一緒にブラブラしただけだ。出雲大社からの帰りは一緒に一畑電車に乗って、途中でお別れした。僕は松江へ、Kさんは出雲へ。松江に泊まった僕はその夜、夜の町を散策しながら物思いにふけった。
後日Kさんから届いたメールには、結婚してO県に住むことになったということが書かれていた。
旅先のちょっとした思い出に過ぎないのだが、どことなくほろ苦い。そして、「聖夜」の「私」と自分が重なる……ような気がする。
僕にとってもやはり、松江は「美しい町だが、どこかもの悲しい」のかもしれない。
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