溺英恵「売れっ子漫画家×うつ病漫画家」第10話を読む

待ちに待った溺英恵先生の創作BLマンガ「売れっ子漫画家×うつ病漫画家」の第10話が公開された。

前半ではうつ病漫画家・福田矢晴(ペンネーム「古印葵」)の苦悩が描かれ、後半は矢晴が売れっ子漫画家・上薗純(ペンネーム「望海可純」)にネームのアドバイスをする、というストーリーだ。

前半は、アル中から抜け出せず、被害妄想に駆られて、うつ病から立ち直れないでいる矢晴の行動と葛藤が描かれる。

純の協力を得て酒を断とうとしている矢晴だが、味醂や料理酒などに手を出してしまう。ダメだとわかっていてもやめられないのはよくあること。しかも、そのことがさらに自分を追い込んでいく。過去の嫌な出来事がフラッシュバックし、純に養われていることを「身分不相応」と感じる。そして、絶対にないはずの純の言葉を妄想して苦しくなる。

矢晴の「言われてもない言葉が頭の中で鳴り続ける / 被害妄想と本物の記憶の境界が曖昧になっていく」という言葉はよくわかる。自分も昔はこういう思いに囚われたことがしばしばあったからだ。

作者は想像で適当なことを描くのではなく、きちんとうつ病(というか精神的に追い詰められている人の感情)を理解した上で表現している。だからこそ、多くの読者の共感を得るのだろう。

特に僕が感動したのは後半だ。

純に頼まれて、矢晴は純のネームにアドバイスする。コマ割りやセリフ、小物の設定についてあれこれ思ったことを話す。それを聞いた純は喜ぶのだが……。

最後に矢晴は、言葉で説明することと言葉で説明しないことの違いを述べて、人によってどちらのタイプかが違うし、どちらのタイプにも優劣がないと言う。その上で「純さんの漫画は言葉が親切です」と伝え、純の作風が矢晴寄りになることを危惧する。

矢晴は物事を冷静に分析する視点を有している。それ故、自分の欠点にも否応なく目が向いてしまい、苦しくなっていくのだ。一つの価値観を絶対視できない苦しさに囚われているように思う。

こうした矢晴の描写とは別に、矢晴が純にしたアドバイスが、ちょうど今僕が考えていたことの一つの解になっていたのも嬉しい。

僕たちはしばしば自分の価値観や感性を絶対視してしまう。「自分のことを理解してくれない他人が悪い」と断定してしまいがちだ。創作なら尚更そうなってしまうこともあるだろう。

しかし、自分の価値観や感性が他人から理解されないことは多いし、そこに優劣があるわけではない。単に自分の「好き」が他人の「好き」ではなかったというだけの話。それなのについ、自分視点での評価にばかり拘ってしまう。

ここ最近、僕は他人が好む表現について知りたいと思ってさまざまなタイプの小説を読んでいる。そんな僕に対して矢晴のアドバイスはドンピシャだった。

「売れっ子漫画家×うつ病漫画家」は丁寧な人物描写が好印象だが、それだけでなく、読んでいくと自分を振り返るきっかけになるし、「これから何をすればいいか?」の勉強にもなる。続きが気になるマンガだ。

 

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