阿刀田高『鈍色の歳時記』を読んでいる。季語をテーマにした短編集で、全体的にブラックな雰囲気が漂っている。中でも薄気味悪さがぴか一だったのが「水ぬるむ」だ。
ストーリーは、べろんべろんに酔った田伏が夜の砂浜で嘔吐し、それを章三が介抱しているシーンから始まる。静かな「海の向こうから、細く、低く、呼んでいるような声が聞こえる」。
昔、人魚の声だと教えられた。このあたりの海に棲んでいて、春先には、時折、歌を唱って人を呼ぶのだ、と言う。
そして、ストーリーは時間を遡る――。そもそもの発端は、元ちゃんが、猟師と思われる男から“魚の切り身”をもらってきたことだ。中学時代の野球仲間――現在は三十代の男たちが集まって、道場で酒盛りをするのだが、そのときの酒のつまみとして、皆で“魚の切り身”を食べる。
魚の骨の缶詰の話や「山わらし」の話、凶器が見つからない推理小説の話などが挿入される。そして、四日前に起こった猟奇事件の捜査に駆り出されていた田伏が酒盛りに遅れてやって来る――。
こんな断片的な情報だけだと微妙だが、ストーリーを最初から読んでいくと、話のオチは何となくわかってしまう。そうして再び冒頭のシーンが描かれて、人魚の話が何を意味するのかも理解できるが、そこを敢えて明確にしないのが阿刀田流である。
「水ぬるむ」の面白さは、オチの意外さにあるわけではない。一見すると無関係な小ネタがどんどん結びついていって、決して明示されない“真実”へと収斂されていく、阿刀田先生の技巧に唸らされるのだ。
「ゆるい、って言うのか、こういうの?」
たしかに、水っぽい。生ぐさい。
「この陽気だからな」
生ものは気をつけたほうがよい。食あたりの多い季節だ。
“魚の切り身”の刺身を食べた男たちがこんなことを考えるのだが、「水っぽい」のも「生ぐさい」のも、おそらくは「陽気」のせいではない。こういう伏線を張っておいて、最後の最後の田伏が嘔吐しながら人魚の話をする。そして、猟奇事件についても……。
僕が初めて読んだ阿刀田先生の本は『恐怖夜話―ミッドナイトの楽しみ方』だった。これは、ブラックユーモアが強いショートショート集で、幽霊や妖怪を直接出して怖がらせる話よりも、遠回しな表現で“薄気味悪さ”を伝える話が多かった。これらを読んだ僕は衝撃を受け、「阿刀田高は面白い!」と思い込んで、その後阿刀田作品を読み漁ることとなる。
「水ぬるむ」は、『恐怖夜話―ミッドナイトの楽しみ方』読後の衝撃に通じるものがあり、久しぶりに“薄気味悪さ”を堪能させてもらった。お勧めの一編である。
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