「わからない」への耐性が欠如すると、扇動され、陰謀論を信じ込む

昨日、公立中学の内申制度に関する記事が某メディアで公開され、記事内容について賛否両論が巻き起こっていた。

僕自身は内申制度に否定的な立場を取るものの、「内申点のために先生に媚びを売る必要がある」「先生のお気に入りでなければ評定が良くならない」など、真偽不明なことを書き散らした記事は悪質だと思った。フォロワーさんが的確に指摘してくださった通り、公立中学を貶める一方で中学受験をPRする扇動記事であろう。

記事にあるように、教師の主観によって、定期テストの点数と評定が大きく乖離することはあると思われる。しかし、「それが全国レベルの話か?」といわれれば、そんなことはないはずだ。公立中学を卒業した生徒5名、保護者10名という、少ない上に偏ったサンプルからの話を以て「公立中学には不正がはびこっている」のような書き方をするのは、もはやデマである。こんな記事を真に受けてはいけない。

それはそうと、このような扇動記事にウワーッと群がる人たちを見て、陰謀論が拡散される仕組みがよくわかった。

内申制度には確かに不透明性がある。そのため、内申制度で不利益を被った生徒や保護者は「学校の先生が不利な評価をしたんだ」と思い込み、それが真実であるかのように吹聴する。そうすると、現在公立中学に通っている、もしくはこれから通うことになる生徒やその保護者は不安になり、「公立中学には不正がはびこっている」と思い込んでしまう。

しかし、よく考えてみてほしい。内申制度が不透明であるという事実から導かれる結論は、あくまでも「どのような評価がなされているのかわからない」というだけの話であって、「わからない」から「不正」に飛躍するわけではない。わからないことについては「わからない」としかいえないはずだ。

内申制度の話に限らないが、不安を抱えた人たちは「わからない」に耐えられなくなって、真偽不明の情報を信じ込んでしまう。昨今のコロナ禍では情報が錯綜し、あちこちから陰謀論が噴出しているが、それらに踊らされる人たちには「わからない」への耐性が欠如しているのだ。

「わからない」という事実を直視し、真偽不明な情報に接した際「そういう可能性もある」と思うにとどまれば、少なくとも極端な方向に扇動されることはない。お金と時間と労力をつぎ込んだ挙句に何から何まで失ってしまうリスクを避けやすいだろう。「教祖」様に貢ぎまくって搾り取られる「信者」にもならないだろう。

インターネット技術の発達によって、世界中の情報が瞬時に拡散される時代になり、否応なしに僕たちは大量の情報の海を泳がされている。そこで大切なのは情報の取捨選択とされる。しかし、取捨選択の前に必要な姿勢がある。事実を的確にとらえ、わからないことは「わからない」として受け入れていく姿勢だ。

不安だからといって、「わからない」を勝手に「わかった」に捻じ曲げてはいけない。「わかろうとする」ことは大切だが、それが必ずしも「わかった」になるとは限らない、と意識すべきだ。自分にとって都合の良い情報や自分の感情を代弁してくれる情報が、真実である保証はない。その背後には、全く別の目的が潜んでいる可能性も忘れてはならない。

陰謀論はエンターテイメントとして楽しむ程度にしておきたい。

 

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