僕は中学時代、英語が大好きだった。
「将来、英語を使った仕事をしたい!」と本気で思っていて、ワクワクしながら英語の授業を受けていた。教科書本文を丸暗記して、毎回の授業の最初に発表した。教科書やワークなどの知らない表現は片っ端から覚えた。英作文コンクールに学校代表として参加して、賞をもらったこともある。
そんな英語大好き少年だった僕は高校進学後、英語が超嫌いになった。中学時代は得点源だったのに、高校以降は最後の最後まで足を引っ張る科目になった。大学受験本番ですら「どれにしようかな?」で記号を選んだくらい、本当にどうでもよくて、放り投げてしまった。
中学時代の英語の勉強が丸暗記で、英文法や長文読解の方法論を理解していなかったため、高校の授業でわからなくなったのが、英語嫌いになった直接の原因ではある。僕が通った高校は県のトップ校だったこともあり、要求される水準が高かったのも確かだ。とにかく覚える量が多くてパンクした。覚えたくなくて現実逃避した。
とはいえ、似たような理由でわからなくなった数学は、試験科目としては嫌だったにもかかわらず、数学それ自体は嫌いにならなかった。むしろ、ずっと好きだったし、今でも好きだ。
中学時代に数学公式集を買ってもらい、そこに載っている謎の記号や変な形の図形などに魅了され、「よくわからないけれどかっこいい!」と数学に憧れたからか?それとも、「数学は難しいけれど、きっと役に立つ」と確信していたからか?いずれにしても数学はそこまで嫌いではなかった、試験前を除いては(笑)
憧れや有用性という点では英語も数学と同じだと思うのだが、どうして一方は超嫌いになり、もう一方は好きなままなのだろうか?
自分の場合、英語が超嫌いになったのは、恋愛に冷めるのと似ている気がする。
誰かのことを好きになって、ずっとその人のことを考え続け、しかし思いが成就することは決してない。そんな悶々とした状態が何か月、もしくは何年も続いた後、ふとその人のことが好きでも何でもなくなることがある。そして、「どうしてこの人のことがあんなに好きだったんだろう?」となってしまう。「熱が冷めた」もしくは「飽きた」といったところだ。
英語にも恋愛にも共通するのは、最初の頃に「熱烈に惚れ込んだ」という点だ。気持ちの全てをぶっ込むが、何をやっても上手くいかない。そんな中、他にもっと魅力的なものと出会ってしまうと、恐ろしいくらいサクッと気持ちが離れてしまう。どうでもよくなり、むしろ鬱陶しくて嫌いになる。
そもそも最初の頃に「熱烈に惚れ込んだ」のは、相手を好きだったというよりも、相手に執着していただけなのかもしれない。自分で自分に「この人(物)が好き!」と強い暗示をかけ、その暗示通りに自分を行動させていたのだろう。当然、何らかのきっかけで暗示が解ければ、偽りの「好き」は雲散霧消する。無事にカルト宗教から脱出!(笑)
英語は中学から始まる新しい科目ということで、キラキラ輝いて見えた。だから、「一目惚れ」した。一方、数学は小学時代の算数の延長のようなもので目新しさもなく、淡々と受け入れた。こうして英語に対する感情と数学に対する感情との差が生まれたのだ……ろうか?
いずれにしても、自分の場合は「一目惚れ」に要注意なのかもしれない。