【物の怪調伏】清少納言が「すさまじ」と呆れた加持祈祷失敗談

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妖怪博士の古文講座

今回は、平安時代の随筆『枕草子』から、「すさまじきもの」の一節を紹介します。「すさまじきもの」は、『枕草子』の作者・清少納言が「すさまじ(=興ざめだ。おもしろくない。)」と思ったことをまとめた段です。この中から、「験者のものの怪調ずとて」で始まる文章を読みます。原文・口語訳・問題は、以下のページからダウンロードしてくださいね。

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みみずく
今回の記事は、文法よりも古文常識がメインだよ。ところで、平安時代の人たちは、病気になったらどうしてたと思う?
狸央
えっと……病院に行って、お医者さんに診察してもらって、お薬をもらって……。
みみずく
当時は医学が発達していなかったので、病気になっても「病院に行こう」というわけにはいかなかった。もちろん、効果のある薬も少なかったし、外科手術もなかった。だから、病気の治療といったら加持祈祷に頼ってたんだよ。
夢狐
カジキトウ?
みみずく
加持祈禱というのは、お坊さんなどが仏様にお祈りして願いを叶えてもらうことだ。
夢狐
じゃあ、当時は、病気になったら、「病気が治りますように」って祈るしかなかったのね。嫌な時代だわ……。
みみずく
現代人の僕たちからすれば、平安時代は非科学的な時代だ。でも、当時の人々にとっては、加持祈祷のような呪術が最先端の科学だったんだ。現代と昔の文化や価値観の違いに目を向けることも大切だよ。というわけで、古文を読んでいこう。
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修験者が行なう物の怪調伏とは?

験者のものの怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせてせみ声しぼり出だして読みゐたれど、/

「験者」は、山に籠って修行をする修験道(しゅげんどう)の行者のことで、現代では「修験者(しゅげんじゃ)」「山伏(やまぶし)」と呼ばれています。

修験道は、山を崇拝する山岳信仰と仏教、特に密教が融合して生まれた宗教です。奈良時代の呪術者、役小角(えんのおづぬ)が開祖とされています。修験者は、悟りを開くために厳しい修行に打ち込む一方で、加持祈祷などの呪術的な活動も行っていました。

夢狐
修験者といえば、白装束のオジサンたちが法螺貝(ほらがい)をブオーッて吹いているイメージがあるわ!

「ものの怪調ず」とは、「物の怪を調伏(ちょうぶく)する」という意味です。

「物の怪」は、人にとり憑いて病気や不幸をもたらす怨霊や悪霊、妖怪などのことです。平安貴族の世界は権力争いの場で、人間関係はドロドロのグチョグチョ……。政治の表舞台から消えていった者たちの恨みや憎しみもすさまじかったんですね。だから、時の権力者たちは、敗者たちが物の怪となって災いをもたらすと本気で恐れていました。

こうした物の怪を退治することが「調伏」です。密教では、五大明王などの力に頼って魔を打ち破るだけでなく、敵対する人に呪いをかけることも「調伏」といわれました。

修験者は「いみじうしたり顔」でした。「いみじ」は、程度が普通でない様子を表す形容詞で、ここでは「たいそう」「とても」などの意味です。「いみじ」の連用形「いみじく」がウ音便化して「いみじう」になりました。「したり顔」は「得意顔」の意味で、現代語と同じですね。修験者は、自分の法力(=仏法を修行して得られた不思議な力)によほど自信があったのでしょう。

そんな修験者が加持祈祷を始めます。文中の「独鈷(とっこ)」は仏具の一種です。もともとはヒンドゥー教の雷神インドラの所有物でしたが、仏教に取り入れられて仏具になりました。数珠(じゅず)は、今でもお坊さんが使っているので、読者の皆さんもご存知ですよね?

狸央
「独鈷や数珠など持たせて」とありますが、修験者は誰に仏具を持たせたんですか?

「よりまし」と呼ばれる人に仏具を持たせました。よりましは、病人に仕えている女中や小童などから選ばれ、加持祈祷の間中、病人のそばに座っています。加持祈祷がクライマックスになると、よりましは病人に対する恨みつらみを口走り始めます。これは、物の怪が病人からよりましに乗り移ったから証なんですね。

狸央
修験者は、物の怪をよりましに乗り移らせて退治したんですね?
みみずく
その通り!

物の怪が去らず、護法童子も現れず……

物の怪が)いささかさりげもなく/護法もつかねば、/集りて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、/

修験者は、物の怪をよりましに乗り移らせようとして、「せみ声(=蝉の鳴くような声)」でお経を唱え続けます。しかし、物の怪は「さりげもなく」、すなわち病人から去りそうもありません。「さりげ」の「げ」は、名詞、動詞の連用形、形容詞の語幹と結びついて、「~の気配」という名詞を作ります。

さらには、「護法」も現れません。この「護法」とは、仏法を守る鬼神である護法童子のことです。護法童子は修験者などに使役されて、よりましに乗り移った物の怪を退治してくれるんですね。

本来ならば、修験者が場を盛り上げていくうちに、よりましとなった人は、トランス状態に陥るか、場の空気を読んでそれっぽく振る舞うかして、ベラベラといろんなことを口走り始めるのでしょう。しかし、今回はよりましに何の変化もありません。

この状況に危機感を覚えた関係者一同が集まって、修験者と一緒にお祈りします。それでも何も起こらないので、その場にいる人たちは全員、不信感を抱き始めます。

夢狐
段々雲行きが怪しくなってきましたね……。
みみずく
加持祈祷が上手くいかない状況下で、この後、修験者はいよいよ本性を表してしまうんだよ。

清少納言、修験者に呆れ果てる

修験者は)ときのかはるまで読み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」とうちいひて、額よりかみざまにさくりあげて、あくびをおのれうちしてよりふしぬる。

平安時代は、時刻を十二支(じゅうにし)で表していました。したがって、「ときのかはる」とは、「2時間経過する」という意味です。修験者は2時間も読経し続けますが、物の怪がよりましに乗り移る気配は全くなく……。

遂に、修験者はプチッと切れてしまいます。修験者は、「さらにつかず」、すなわち「物の怪がよりましに全く乗り移らない」といって匙を投げてしまいました。挙句、「立ちね(=あっちへ行ってしまえ)」とよりましに八つ当たりする始末。

「さらに」は打消しの語を伴って、「全く~ない」「決して~ない」という意味になります。また、「立ちね」の「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の命令形ですよ。

狸央
いつまでも変化のないよりましに対して、修験者は「空気読めよ!」って思ってるんだろうな……。

修験者は「あな、いと験なしや(=ああ、全然効果がないなぁ)」とぶつくさ言いながら、あくびをして居眠りまで始めます。「もうどうでもいいや」という、うんざりして投げやりになっている様子が表れていますね。そんな修験者の姿を見ていた清少納言は、「すさまじ(=興覚めだ)」と思って呆れ果てたのでした。

清少納言は冷めた目で加持祈祷の様子を観察していました。このときのことを『枕草子』に書き記しながら、「何が物の怪よ?バカバカしい!」と思ったかもしれませんね。

みみずく
今回はこれでおしまい。記事中に出てきた古文常識を下にまとめておくので、読者の皆さんは、ぜひ覚えてくださいね。
古文常識・修験道 … 山を崇拝する山岳信仰と仏教が融合して生まれた宗教。修験道の行者が「験者(=修験者)」。

・物の怪 … 人にとり憑いて病気や不幸をもたらす怨霊や悪霊、妖怪など。

・調伏 … 物の怪を退治すること。

・加持祈祷 … 「よりまし」と呼ばれる人に物の怪を乗り移らせて、護法童子に退治させること。

・独鈷・数珠 … 仏具の一種。

【了】

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