【尼と地蔵3】「ん」の用法・識別と「ぬ」の識別は大丈夫かな?

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妖怪博士の古文講座

『宇治拾遺物語』「尼、地蔵を見奉る事」の最終回です。前回と前々回の記事を読んでいない人は、過去記事から読むといいですよ。

>>復習:【尼と地蔵1】敬語の知識から主語や目的語を把握できるって本当?

>>復習:【尼と地蔵2】「の」の用法?連体修飾格・主格・準体格・同格とは?

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3段落目も、主語を把握してしまいましょう。

尼は、『(私は)地蔵見参らせん』とてゐたれば、/親どもは心得ず、『(尼は)などこの童を見んと思ふらん』と思ふほどに、/十ばかりなる童の来たるを、/(親が)「くは、地蔵よ」と言へば、/、見るままに是非も知らず、臥しまろびて、拝み入りて土にうつぶしたり。/、すはゑを持て遊びけるままに来たりけるが、そのすはゑして手すさみのやうに額をかけば、額より顔の上まで裂けぬ。/裂けたる中よりえも言はずめでたき地蔵の御顔、見え給ふ。/、拝み入りてうち見上げたれば、/(地蔵菩薩が)かくて立ち給へれば、/(尼は)涙を流して、拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りにけり。/

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「ん」の用法と識別

狸央
地蔵少年の親御さんもビックリ!急にやってきたババアが、自分の子どもを見たとたんにひれ伏して拝み始めるなんて……。今の時代だったら即通報ですね(笑)

妙な展開になってきたところで、文法の解説をします。上の文章には「ん」が3か所あります。「地蔵見参らせん」「この童を見ん」「思ふらん」ですね。それぞれの「ん」を文法的に説明するとどうなるでしょうか?

まず、「地蔵見参らせん」を品詞分解すると「地蔵/見/参らせ/ん」です。この部分は、尼さんが心の中で思っていることです。「参らす」という謙譲語が使われているから、主語は「地蔵」ではありません。つまり、「地蔵見参らせん」は「地蔵見参らせん」と訳します。

ここで「ん」の用法を確認しておきましょう。

文法「む(ん)」の用法

★ 文末の「む」

① 主語が一人称(私) → 意志「~しよう」

② 主語が二人称(あなた) → 適当・勧誘「~がよい」

③ 主語が三人称 → 推量「~だろう」

★ 文末以外の「む」

① 直後が名詞 → 婉曲「~のような」(特に訳さなくてよい)

② 直後が助詞 → 仮定「~としたら」

「地蔵(を)見参らせん」の主語は尼さん自身なので「私は地蔵(を)見参らせん」となって、主語は一人称です。したがって、「ん」は、意志の助動詞「ん」の終止形です。

次に、「この童を見ん」も主語は「私(=尼さん自身)は」で、主語が一人称となります。したがって、ここの「ん」も、意志の助動詞「ん」の終止形ですね。

最後に、「思ふらん」の方は、「らん」が現在の原因推量の助動詞「らん」の終止形なので、「助動詞の一部」と答えればOKです。

「ぬ」の識別

みみずく
2文目からとんでもない展開になるから、心して読むように!
夢狐
子どもが自分の顔を木の小枝でひっかいたら、傷口から地蔵菩薩が姿を現しました……って、うそぉ!?
みみずく
それで内容解釈はOK!ところで、夢狐は「裂けぬ」を「裂けてしまった」と訳したけど、どうして?

というわけで、「ぬ」の識別についても解説しておきますね。

「ぬ」には、完了「ぬ」の終止形と打消「ず」の連体形があります。完了「ぬ」は連用形接続で、打消「ず」は未然形接続です。だから、「ぬ」の直前の動詞を見れば、「ぬ」が完了か打消か分かります。たとえば、「言ひぬ」の「ぬ」は「言ひ」が連用形なので完了「ぬ」の終止形、「言はぬ」の「ぬ」は「言は」が未然形なので打消「ず」の連体形ですね。

一方、「裂けぬ」の場合、「裂く」は下二段活用だがら、未然形も連用形も「裂け」です。「裂け」の形から「ぬ」を識別できません。

こういう場合は、「ぬ」の下を見ます。「~ぬ。」という文末の場合は完了「ぬ」の終止形、「~ぬ+名詞」の場合は打消「ず」の連体形です。ただ、例外的に、打消「ず」の連体形が文末に来ることがあります。「~ぬ。」の前に、係助詞「ぞ・なむ・や・か」のいずれかがある場合、「ぬ」は文末でも打消「ず」の連体形です。だから、係助詞の有無はきちんとチェックしましょう。

夢狐
「裂けぬ。」の前を見ると係助詞はないので、「ぬ」は完了「ぬ」の終止形だわ。だから、「裂けてしまった。」という訳で大丈夫!
文法「ぬ」の識別

★ 接続から判断する

① 連用形+ぬ → 完了の助動詞「ぬ」の終止形「~してしまった」

② 未然形+ぬ → 打消の助動詞「ず」の連体形「~ない」

★ 接続で見分けられないときは、「ぬ」の後ろを見る

① 「~ぬ。」 → 完了の助動詞「ぬ」の終止形「~してしまった」

※ただし、「~ぬ。」の前に、係助詞「ぞ・なむ・や・か」があれば、打消「ず」の連体形になる。

② 「~ぬ+名詞」 → 打消の助動詞「ず」の連体形「~ない」

敬語を復習しよう

4文目で敬語を復習しましょう。

4文目の述語を全部抜き出すと、「拝み入りて」「うち見上げたれば」「立ち給へれば」「流して」「拝み入り参らせて」「参りにけり」です。これらの敬語の変化を確認します。

「拝み入りて」「うち見上げたれば」は敬語無し。「立ち給へれば」は尊敬語の「給ふ」。「流して」は敬語無し。「拝み入り参らせて」は謙譲語の「参らす」。「参りにけり」は謙譲語の「参る」。

このことから、それぞれの述語の主語が分かります。尊敬語が入っている「立ち給へれば」だけ、主語が偉い人、つまり地蔵菩薩。それ以外の述語に対する主語は全て尼さんです。

狸央
急に現れたババアが、傷ついた子どもを一生懸命拝んだと思ったら、そのまま極楽往生したって……。
夢狐
つまり、この尼さんはお亡くなりになったってことよね?子どもの顔が裂けて「大変だー!!」ってときに、目の前で尼さんがポックリ……。地蔵少年も彼の親も困っちゃうわ。
みみずく
こういう展開があるから、古典は面白いんだよ。で、最後の段落は、「仏教を信じているとこんなにいいことがあるよ!」という仏教説話ならではのまとめ方だね。ところで、この話に登場する尼さんは本当に幸せだったのかな?
狸央
仏様の存在を信じるあまり、子どもの顔の傷に地蔵菩薩を見てしまうなんて、頭がオカシイとしか思えません。
夢狐
カルト宗教でも、よくこういうことがあるじゃない?信じれば、教祖様は神や仏になるし空も飛ぶ。そして、信者は心の安定を得られるのよ。
みみずく
もっとも、奇跡にあやかりたければ、それなりにお金を払わなければならない。宗教もビジネスだからね。
狸央
宗教にどっぷりハマると、「信じる者は救われる」じゃなくて、「信じる者は足をすくわれる」になりそうだな……。
みみずく
話をもとに戻そう。「尼、地蔵を見奉る事」の結末は、僕たちの価値観からすると「えーっ!?」って感じだけど、価値観は人それぞれだし、時代によっても違う。だから、こういうのも有りなんじゃない?
夢狐
尼さんの極楽往生を素直に喜んであげるのが優しさってものね(笑)
みみずく
というわけで、「尼、地蔵見奉ること」はこれで終了!お疲れさまでした!

【了】

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